月輪殿
平安時代後期、関白藤原忠通公(近衛家)はこの地に御所の東御堂を建立した。
忠道の子、公家九條家の始祖である兼実は、建久7年(1196)に関白を辞して後、自身が別称「月輪殿」と呼ばれたことにちなみ、山荘「月輪殿」とした。本院庭園は、800年の歴史を有する東御堂の跡である。
大東亜戦争後荒廃したが、玄之和尚が復興に心血を注ぎ、昭和52年に庭園文化研究所森薀博士(元東大教授)等の指導で往時の面影が復元され、京都市史跡に指定された。
室町時代後期の庭園としては類い稀な公家寝殿造系で、鈎の手(「心」)になった池の地割り・瀧の位置など、その往時が偲ばれる。
国宝 法然上人絵伝 巻八段五(知恩院蔵)輪殿
『法然上人絵伝』巻八段五(国宝・知恩院蔵)に描かれている。絵伝には“頭光”を冠した法然上人が橋上に描かれ、上人が藤原兼実に法話を行った真正な聖地であることが窺われる。寛政11年(1799)に刊行された『都林泉名所図絵』に掲載され、江戸時代にも名庭園として名高かったといえる。雄大深遠な自然は山内塔頭随一で、「紅葉と苔」の美しさには定評がある。四季折々の花木は尽きないが、冬には“値千金”の「千両」の実が、凛とした厳しい寒さの中に色を添えている。