篤姫が徳川へのお輿入れの際の道中に持参したと思われます。 篤姫は、1853年8月21日に薩摩(鹿児島)を出発。一ケ月強を掛け、九州・山陽道を京に向かいました。この間、はっきりした記録は有りませんが、薩摩を出たことのない篤姫は、旅の途中有名な名所は寄ったと思われます。
9月24日に浪花(大阪)到着。住吉天満宮に参拝しました。その後京都に到着し、宇治平等院・東福寺即宗院参拝。10月2日 近衛家へ参内しました。
この間、約2~3週間京の都を楽しみ、その際、この花見提重を持参し御馳走も楽しまれたことでしょう。10月23日、江戸芝藩邸到着。 1856年7月7日、正式に近衛家養女となり、11月7日 結納、12月18日婚礼の運びとなりました。
薩摩の田舎から当時大都市であった京の都に上がられた篤姫。この京のきらびやかな風情や河原町の歌舞伎や踊りを楽しみ、又、京の林泉図絵(江戸時代のガイドブック)に載っている名所めぐりをされました。
この花見提重は島津紋〇十が施され、島津直系の者しか使うことは許されず、他の者は島津紋の入っていない提重を使用していました。又、作りも華奢ではあるが、小ぶりで品の良さが見てとれます。
寺宝も、大東亜戦争までは即宗院に多く保存していましたが、戦後の混乱で寺宝は多くが散逸しました。
昭和45年住職に就任した玄之和尚は、庭園の復興のみならず、散逸した寺宝の回収に努力され現在に至っています。
少なくなった寺宝ではありますが、当時の島津藩・篤姫・西郷隆盛公との関係を深く感じさせ、歴史の流れにわが身を委ねられるような品々です。